04・森6

感情表現が豊かだった。言葉に出さずとも不満や喜びをあっさり示す女だった。
「ピンキリかなあ」
「は?」
「いや、ピンからキリまでいろんな子がいて。彼女」
中川の台詞の真似だった。ピンキリ。
「なにそれ。ピンキリいたなんて、やな感じ。なんかむかつく。すんごい遊んでそう奥村」
吐き捨てられて、クッと苦笑い。
「いや遊んでは、ないよ。うん。長く続かないってだけで。付き合ってもすぐ振られるの繰り返しだったし」
「……ふうん」
「そう。いやあのー、ピンキリって外見が可愛いとか可愛くないとかじゃなくてさ? 一緒にいて楽しい、そうじゃない、性格が合う合わない。そういう感覚的な意味で。まあ、変な言い方だけどピンキリ」
「ふうん」
「俺はねぇどっちかというと、あのー、控えめな感じの子が最初、好きだと思うわけ。あっ、この子かわいいなーて感じの。守ってあげたいなーて感じの」
「お嬢様的な?」
「……あー、うん」
中川がプッと笑った。
「うるさいよ。笑うことないでしょう。でもさ、そういう子をまずいいなあって思っちゃうのね俺の場合。でもね、そういう子は、合わない。なんていうか俺についていけない」
「……ついていけない?」
「俺、ほんと調子こきなんだよね。分かるとおり。で、一緒にいてふざけて調子こきまくってドン引きされて、相手逃げていくっていうね。もう、そればっかりよ」
「ははっ」
「――それでも。一番、長く付き合ってた子は。こんな俺に付いてきてくれたんだよなあ。若干引きつつも、バカだね奥村は、って。叱ってくれたし、笑ってくれたし」
陽子は。
見た目控えめでもなかったし、守ってあげたいタイプでもなかったが。
「俺に付いてきてくれる子なんてそう滅多にいないからね。真面目に、大事にしてあげたかったんだけど結局、その子とも別れちゃって」
再びワイパーが、フロントガラスをきゅっと鳴らした。
「彼女がさ。できても。続かないのはやっぱこう、俺の性格のせいなんでしょうか」
「……そうなんじゃない?」
「はっきり言うなや」
虚しくなるべや。と嘲ると、中川がまた「ははっ」と笑った。
そして笑い終えた後。中川はふうと深く、息をつく。
窓から景色を見ているようだった。特に目立った特長のない、明かりの消えた商店が並ぶ景色を。
閉まっているシャッター。当たり前に降る雪。
「奥村、あたしね」
「うん?」
「……そろそろ。函館にいられなくなると思うのね」
静かな声。
「へえ」
心の中でもへえ、と呟いていた。
中川が、函館にいられなくなる。
「え、なして? 勤務先変わるの?」
事務所で店長と中川が二人で何か話していたことを思い出す。
あの時、向こうからなんらかの打診があったのかも知れない。
「ううん……そう、だね。あたし、いまの地区にいるの長いし、うちの会社の流れ的に、いずれは違う所に移れとか言われるんだろうけど。それとはまた別に、実家の方に戻んなきゃと思っててさ」
「実家って」
「うん。松前の方」
青森県に近い。南端の町だ。
「あ、中川はそっちが実家なんだ」
「うん」
「汽車使えばそこから函館まで通えない距離でもないけど。まあ、遠いよな」
「そうなんだよね」
静かに応じたあと、中川は黙り込んでしまった。
路面は、雪が溶けて濡れていた。タイヤがその上を行くと、水しぶきを飛ばす音。そして、カリカリと何かを引っかく音も。
どうも中川のほうから聞こえてくる。
なんだろうとチラリ、窺えば、シートベルトが何度もなぞられていた。
中川の整えられた長い爪で。マニキュアが綺麗に塗られた爪で。
「さっき、店長に話してたんだ。できれば実家に近い店に移らせてください、って。そしたら店長、上に掛け合ってみるって」
事務所で二人。話していたのは、そういう内容だったのか。
「移れそうなの?」
「どう、だろ。向こうの方の店に、空きが出来れば、っていう話だけど。もし、そうじゃなかったらあたし、他のとこ探すかも知れない」
「……それ、うちの会社やめるってこと?」
「うん」
母親の調子が良くないの。と、中川。
「あたし、一人っ子でね? 父親はもう亡くなってて、いまは母親がひとりで実家で暮らしてて」
「ああ」
「調子が悪い母親を一人で暮らさせるって訳にも、いかないかなって」
「お母さん、そうとう悪いの?」
「ううん。ぜんぜん、重い病気とかではないんだけど。なんだろう。いままですごく気丈な人だったのに、近頃はめっきり気が弱くなっちゃったみたいで」
「ああ」
「うちの母親、遅くにあたしを生んだから、もう結構な歳なのね? ずっと、ほのめかしてくるんだよね。こっちに戻ってきなって。一緒に暮らしたいって」
「……寂しいんだベや」
中川はいまだにシートベルトを爪で撫でつけている。
カリカリと音がする。
「一人娘のわがままな気持ちとしてはね、あたしはずっと函館に居たいのね? できれば、本当は、札幌に就職したかったわけなんだけど」
札幌に。
「まあ分かるよ? でも、親がそう頼むからってお前が犠牲になる事はないんじゃないの? なんも、あれだよ。お前の母ちゃんをこっちに呼べばいいんでないの? それで一緒に暮らしていけばいいんでない? 簡単に言うようだけどもさ」
あたしもそう提案したんだけどね。と、中川が溜息をこぼした。
「住み慣れたところを離れたくないんだって」
そう言われてしまっては、もう返しようがない。とっさにうまい言葉も出てこない。
あー、と曖昧に相槌をうち、フロントガラスで動くワイパーを見つめた。時おり、きゅっと音が鳴るワイパーを。
車内は暖かいというより、暑かった。ガラスの向こうは寒くて身が凍るのではないかと思うほどの景色なのに。
行く先の信号機が青から黄色に変わった。吹雪の中にある、ぼんやりした光。
軽くブレーキを踏んで速度を落としていく。
そして信号は完全に赤。
停止線の位置に停めてから、明日は晴れるといいなと呟いてみた。
中川がうん、と相槌をうつ。
店長が厳しく言及してきたのは、中川の事があったせいなのかは知らない。先の目標を持てず、与えられた事をこなしていくだけの誰かを詰ってきた真意は知らない。
確かなのは、留まりたくてもそれが出来ない人間がいるということだ。
ユーヴイホワイトだとかいう化粧品を買い求めにきた、母親そっくりの客を思い出す。大仏様のようなパーマ頭を。
自分の母親は。
口うるさいところはあれど、本当は求めていない。体調がよろしくなくても、自分の息子にそばに居ろなんて言わない。むしろ自由にやれ、好きな所に行け、と言う。
いろんな人間がいて、いろんな考え方があるのだ。
中川に比べたら恵まれている。好き勝手にやらせてもらっている。子供の頃からそうだった。行きたい高校も、大学も、就職先も。
あの母親は、文句ひとつ言わなかった。
信号が赤から青に変わるまで。右足でブレーキを踏み続けている間。
シートベルトを引っかく音が、助手席からずっと聞こえていた。
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